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2019年12月15日 (日)

高齢者社会に望むもの

 終末が近いと、年れから判断して思っていても、いつそれが訪れて来るかはわからない。戦時中によくも生き延びられたものだと思うことがある。戦後は、死など考えたこともなしに生きて来た。まわりのひとが死ぬようになって、死について想いを向けるようになったのが戦後の死生観の始まりである。戦時中の死生観はしまい込んでいたし、おもいだす機会もなかった。
 いまぜんざいの死生観は、病死から浮かび上がってくるもので、健康であると、思い煩うこともなかったのである。だが、今現在では、死がまじかに来ているという思いがある。90歳を過ぎている方当然であると思う。しかし、そのようなことに煩わされることなしに、まっすぐに前を向いて歩いていればいいはずである。一番安心な生き方は、神仏にいのちを預けて生きる生き方である。真靴と語らい合いながら毎日を健康に生きる。そのための仕事があればいい。農家ではその仕事が沢山あるので生きることに困らない。そういう事情をテレビで見ることがある。自然と共に生きる仕事が幸福をくれる。
 家庭からも社会からも浮き上がらないで一緒に暮らしゆけるのが理想である。これまでと同じような生き方ができるのが老後の理想である。老人が社会の生産性を高めてゆけるような社会を創ることがこれからの政治の仕事だと思う。

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