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2019年12月 4日 (水)

生命力と健康

   血液年齢を無料で測定するというので指を突っ込むと90歳と出た。実年齢は92歳の誕生日以後であるから、それよりは若いということであった。51%ですという説明もあった。兎に角健康なのであろう。健康を気にする年齢をとっくに過ぎているのだが、病気になるのは嫌だから、それには注意している。しかし若い時と違って、健康のことに気を煩わされることはなくなった。今現在は、生命とはどういうものなのかに関心があって、そのことを勉強している。
 医薬などというものは、強い生命には必要を感じさせないのだと思っている。生命力が病を寄せ付けない。健康と病気のセットで考えるよりも、生命力と寿命のセットで考えるようにしている。この歳になれば、いつでも病気が押し寄せて来る。それで医薬に縋るということになるのだが、それは堂々巡りであって解決にならない。若さがあれば回復は早いが、老齢化すると病に付け込まれる。最近は、そうしたことに気を取られるよりは、生命力があれが生き延びるのだという思いで、生命力に関心がある。
 生命力を高めるためには、精神を鍛えることが不可欠であるという思いで、精神力を高めるためにはどうすればいいかということに関心がある。幸い、戦時中の育ちだから、そういう心の鍛錬にはしばしば機会があった。風邪を引いても心のゆるみと言われた時代である。そこで幼い時から、命を鍛える技をいろいろと教えられたものである。精神が肉体を創り上げるという教育を受けて育ったのである。だから現在のように、肉体優先の医療や医薬に頼ることは社会的な風習としてもなかった。
 学校は知育よりも人造りが中心であった。人間を育てるのが教育の目標だった。その中で健康が自然と生まれてきたのである。今現在は、学校教育そのものが人間教育という意味では崩壊している。知育に偏った競争が人間の良心を破壊している。そこからう生まれてくるのは不健康な心である。それが身体の病を引き起こしている。それで医薬に頼る。これでは根本的な解決にはならない。健康と病気のセットに結びつく習慣が育つだけである。生命力というものに目を向けようとはしていない。ましてや、自分の寿命に対する感謝をも忘れている。
 こういうことを書き留めているのも、すでに社会から見捨てられた年齢に達しているからである。生命力と社会との対抗である。自然の生命によって生かされている年齢であるから、社会的な尺度では棄却されている年齢に達していること自体にとかくの評価があったとしてもやむを得ない。それに対する正しい答えは、生命力のみがもっている。「日本全国674本の巨樹・巨木」(渡辺典博著、山と渓谷社)を頁を追ってみながら、その生命力に圧倒されている。

 

 

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