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2019年12月11日 (水)

悲しいほどに恐ろしい状況のなかに生きている日本人

  いよいよ、夫婦二人で終末に向かっているような日常の状態なので、覚悟だけはしておかないとという思いもするが、まだまだ、死を迎えるのはそんなに容易くはないという思いもする。そうした思いにふけることができるのも平和だからであると、戦時中のことを思い出すことがある。今の人にはそう意追うことは解からないだろうが、それで結構である。子供達にまでその思いをさせるようなことはあってはならない。子供と言っても、もう還暦前後の歳である。孫たちが果たし前後になっている。彼らの歳には私たちは徴兵されていた。今はそれはないが、生活がしにくくなっている。社会の分断とか分裂というのが所得面で起きている。いう処の経済格差が拡大しているのである。
 この国は発展力を失たかのように見える。自ら立つということがむつかしくなっている。海外の影響に揺れ動いているのである。外国に依存した経済構造が定着しているからであろう。世界政治の舞台では、二番手か三番手である。悪くゆけば、四番手か五番手のような状況も見られる。国民に覇気がない。新時代の技術を社会に定着させるのにも戸惑っている。昔から、社会を確信するのは二十歳代の若者であるが、その年齢層がれ転がってしまっている。五十代や六十代がいくら騒いでも駄目である。革新の機運は生まれてこない。その体力と気力がうせているのである。
 ではどうすればいいのか。二十歳代に社会の実験が映る革新の機運が醸成されることが先決であろう。今、香港ではその社会実験が起きているとみていいのではないだろうか。日本では、明治維新がその機会であった。戦後の何回かの社会改革の機会をこの国は殺してしまっている。変化よりも安定を求めたのである。戦後の復興から経済成長にたどり着いたこの国は、1980年代を頂点にして急速に下降して決まった。その地滑りが今も続いている。それを象徴しているのが多発する自然災害である。1995年の阪神淡路大地震がその発端であった。それが、震災、津波、風水害、山崩れなどの連発の状態になり、この国の自然が壊れ続けている。今もその状況は収まっていない。悲しいほどに恐ろしい状況の中にこの国は置かれているのである。日本列島が崩壊しようとしている。

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