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2019年1月 7日 (月)

コミュニケーションの様々な形とその変化

 以心伝心という。目と目が合ったという。こうしたときのコミュニケ―ションは言葉よりも濃い。肌がすれあった。手と手をつないだ。これもまた無言で深いコミュニケーションが成り立っている。動作、所作、気配、熱気、冷気、このようなタイプのコミュニケーションもまた多彩な感情を伝えている。こうして人間は無言の空間で意思や感情をお互いに伝達しているのである。

 言葉はどうして必要なのだろうか。言葉が生まれたことで、なんとなく迂回なコミュニケーションが主流になる。言葉は真実を伝えないことが多い。本能的な感情の表現にだまされることはないが言葉には騙される。

 更に言葉が文字になると、話す、聞くという対面的なコミュニケーションが、書く、読むという
間接的なコミュニケーションに変化する。更にその効果を高めるのが音声による伝達である。言葉を音声に乗せる朗読は言葉に感性を付加する。そこでコミュニケーションが立体化する
のである。言葉に感情が入る。音読によって文字は平面的なものから立体的なもの変化する。

 最近の若者は、スマホに傾倒して人と話すことができなくなっている。でrン社の中でもこの頃はスマホ片手で静かなコミュニケーションが閉鎖的に行われている。以前あった会話のような話し合いの情景が全くなくなっている。家庭の中でも家族の会話がめっきり減っている。親兄弟の人間関係ですらこれで薄くなっている。言葉を交わすことのない社会が身近に生まれているのである。

 今必要なことは、こうしたコミュニケーションの現状を再確認することではないだろうか。言葉が消えて文字が残る社会に変わろうとしているのではないか。それでは文字の原点が失われる。人と人との触れ合いもまた、スマホを介してのように、間接化し、乾燥した関係に変化している。

 

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