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2019年1月11日 (金)

篠田桃紅著「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)を読む (3))

 第2章「何歳からでも始められる」。「何でも言っておく、伝えておく」(56頁)は、相手次第で受け止め方が変わることを承知の上でのメッセージと受け止めた。
 「老いたら老いたで、まだ何ができるかを考える」(58頁)、本能的にそうなりますね。
 「自分の目で見れば、新しい発見、新しい喜びがある。」(62頁)。全くそうですね。その自分の目がないと駄目ですね。
 「新しいものに接する時は、うぶなままでいたい。」(66頁)。驚きを感じるのですね。
 「夢中になれるものが見つかれば、人は生きていて救われる。」(70頁)。間違いないです。
 「人には柔軟性がある。これしかできないと、決めつけない。完璧にできなくたっていい。」(75頁)。これが生きるコツですね。それでもできないことはできない。
 「誰もやらないときに、やったことが大事」(76頁))。発明・発見ですよね。
 「受け入れられるか、認められるかよりも行動したことに意義がある。」(79頁)。全く受け入れられなかったり、反撃されることがあります。
 「予定や目標にとらわれると、他が見えなくなる。時には、その日の風に任せる。」(83頁)。息抜きですね。
 ^「真実は見えたり聞こえたりするものではなく、感じる心にある。】(86頁)。神仏と同じこと、自然とは異なる。
 「なんとなく過ごす。なんとなくお金を遣う。無駄には,次のなにかが兆している。」(90頁)。余裕ですね。
 

 第2章はここ93頁で終わっている。原則として、一番大きな活字の文ばかりを拾て寸評を書き込んできた。この大きな活字の組みの文(主文)と中身のこまい字の文(本文)とではすんなりと内容は一致していない。括るための見出しの文だとは思うが内容はそれをはみ出したりそれたりしているので、個々の文を読む楽しみがある。こういう形で章立てすることの難しい説話が心の走るままに書かれている。自由な人生の勧奨録と見た。どこから読んでもいいのであって、わざわざ章立てしたことに無理があったと思う。

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