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2019年1月12日 (土)

篠田桃紅著「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)を読む (5)

 第4章は、「昔も今も生かされている」で始まる。「人との競争で生き抜くのではなく、人を愛するから生きる。」(131頁)。まさしく、かくありたいと思う気持ちが書かれている。添え書きには、「地球上から、戦争と飢餓がなくなることを願う。」とある。この心が世界万人の抱くものであることは間違いないだろうか。その答えはあまりにも明白だから此処に書くことは差し控えたい。生存競争に明け暮れて残酷な殺し合いをしている一方で、人を愛することに命を懸けてもいるのである。
 「志ある友は、友であることが誇らしい気持ちになる。」(138頁)。人間的なあこがれを満足させてくれるからであろうと受け止める。
 「懐かしい人との時間は、鮮明に生き続けている。」(142頁)。その人と出会った思い出は今現在のことのように鮮明に復活する。これは経験によって多くの人が良く知っているはずである。
 「身を挺して、悩み苦しみを書き著した天才。芥川と太宰」(147頁)。添え書きには、「人はどう生きるべきか、永遠のテーマで正解はない。」とある。これはお二人の自殺のことを思い浮かべてのことであろうと思う。だが、続く文章は「どうして傲慢になれましょうか」(148頁)で、ご自分の生い立ちのことが書かれてある。芥川友太宰ともかかわりはない。
 「運命の前では、いかなる人も無力。だから、いつも謙虚でいる。」(151頁)。添え書きは、「どんなに愛する人でも、いつ奪われるかわからない。」と、主文とストレートに関連している。続く文章(本文)も「生かしていただいている」と大文字の文(主文)を裏打ちしたような感がある。
 「時宜に適って、人は人に巡り合い、金の言葉に出遭う。」(155頁)。添え書きは「医者の『治りますよ』で、私は死病から生還した。」とある。大文字の文の意味を憎いほどぴったちと表現している。続く「争いごとを避けて、風流に生きた父」なる文章(本文)は父の人となりを記述しているのである。
 「親子といえども、伝えぬこともあったのではと想像する。」(159頁)。添え書きは「いつの世も、人は時代の子」と、本文とはずれている。続く文章は「全人類が価値を求めて愛するもの」と、人の抱く価値観は時代と共に変わるものという説明の中で母の面影を追っている。
 「未来永劫、全人類にとってありがたい、母という存在。」(162頁)。添え書きは「行きたい道を行きなさい、と言ってくれた私の母。」で、本文の説明になっている。続く文章で「自分が立ちうる場所に感謝する」である。

 一般的な話題を展開していた人生論風のエッセイがこの辺りでは自分自身と父母のことに収れんしている。父母への感謝を記して終わりを迎えようとしている。

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