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2019年1月12日 (土)

篠田桃紅著「103歳になってわかったこと」(幻冬舎)を読む (4)

 「自分の心が自分の道をつくる」(99頁)。それしかないでしょうね。それもわからないのが困る。川は三本川だけでないというのはそうとうな自己意識のあらわれですね。改めて目を開かされた感じです。型にはまらないで自分で考えることを教えられた思い。そうでしょう。
 「養分を吸収して支えるのは、自分という根っこ。」(102頁)。自分にくらいつきたくはないが。自分の根っこがないと浮き草になって時流に流される。
 新しい精神、新しい生き方をした明治・大正の人に思いを馳せる。」(106頁)。あの時代は脱亜入欧の文明開化が世を馳せました。士族の廃止、その家族の没落という悲劇が生まれましたが、それは自己責任にされました、わずかな奉還金をもらっただけで。
 「相手に従うのではなく、お互いに違うことを面白がる。」(110頁)。それができれば最高。それができなくて皆弱っている。独立自尊の美術工芸家でいらっしゃるから言えることですね。
 「真正面だけではなく斜めからも見てみる。新たな魅力があるかもしれない。」(114頁)。多面鏡が欲しい。
 「知識に加えて、感覚も磨けば物事の真価に近づく。」、「虫が知らせる、虫が好かない、を大切にする。」と添え書きがある。ほんと、ほんと、鈍感ではだめです。勘の鋭い人とそうではない人には感覚する能力の違いが根源的な働きをしていると思われる。
 「忘れ去るのは、あまりに惜しい。外国の人が教えてくれる日本の美しさ。」(121頁)。そういうものですね。日本固有の文化や自然の美しさを外国人によって思い起こさせられるとは皮肉です。美意識の違いでしょうね。
 「どの国の人にも美しい、と感じるものが増えれば増えるほど、共通の心が広がる。」(127頁)。美意識の世界的な共通性が増えれば増えるほど世界の人々の相互理解が高まり深化するという。美術工芸家の素直なお気持ちですね。「あらゆる人に平等で美しい」という文章がこの後に続いている。

 これで第3章が終わっている。自由、平和、博愛といった言葉が散りばめられたような章であった。その中心にあるのが自分の心であると伝えている。
 

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