2019年1月24日 (木)

酒井雄哉「この世に命を授かりもうして」(幻冬舎ルネッサンス新書)を読む(5))

 人の原点は、それぞれの人によってそれぞれに異なるもので、それを自覚できることで人生の歩き方が異なるであろう。酒井雄哉阿闍梨は、「歩くことがわが原点」(90頁)という。

 「大阪から比叡山まであるかれたというのもそうですが、」(91頁)、
 「仕事にない時にもね、朝、仕事に出かけるような顔をして家を出るわけだ。そして、当時住んでいた三鷹から中野、市谷を通って、築地か月島あたりまで行って、帰りは後楽園のほうを回って帰る。ぐるっと歩いて帰ると、夕方丁度仕事を終えるくらいの事案になるんだよ。」(92頁)。

 「歩けば楽しみが見つかる」(93頁)という見出しで、悪ガキの頃の悪戯を話しておられるが、その中で、「七つぐらいかなあ、面白くなって、日曜日になると毎週、中野から新宿まで歩いていた。その道も最初は遠い道だったの。だけで、『あそこを抜けたらもっと早いぞ、』『ここをこう行ったらもっと近いぞ』と、どんどん近道を見つけてね、そのうちに三十分ぐらいで新宿に着くようになったんだよ、子供の足で」(94頁)とjいうのがある。

 「いつもの道も毎日違う」(95頁)の中で、「自然て毎日様変わりするからね。昨日と全く同じってことはないんだなあ、って。そうすると今日の日の大切さにも気づくわけだ。」(97頁)って、ある。更に、

 「あるくことがヘタだと生きる資格がない」(100頁)では、「自然の中を歩いていると、何があるかわからない。いつも神経を研ぎ澄まして、何かあったら反応できるようにしていかないと生き抜いていけない。歩くことがヘタだと、山では生きる資格がない、ということなんだよ。」「だから、本当に『歩くことが生きること』なんだ。」)(101頁)。と、

 「地球を足の裏に感じて歩く」(103頁)では、草履で歩く感触をこのように表現されている。靴ではだめだってね。「便利さばかり求めていると大事なことを見失う」(106頁)では、
歩くことで、「自分が自然の一部で、生かされているということもわかる。」(107頁)という。歩くには、「呼吸のリズムで歩く」(109頁)、「コツはそれぞれ自分でつかむもの」(111 頁)、
「歩くことは現実を変える行動力だ」(113頁)、

 「からだと呼吸と心は密接に結びついているんだってことを意識して、一日に一回、三十分ぐらいでいいから、外に出て家のまわりでも歩いてみるといいの」と、身口意三業の実践の必要を説かれている。(114頁)。

酒井雄哉「この世に命を授かりもうして」(幻冬舎ルネッサンス新書)を読む(4))

 阿闍梨さんの話は、ご自分のまことに不思議な体験を淡々と語ることで、人の生きかたの根底に迫っている。摩訶不思議が不思議ではなくて、厳然とした人生の案内として立ち現れていたことが明らかにされている。

 「ある日突然『わし、坊さんになるわ』って、言って出家したんでも何でもない。いろんなことの自然なめぐりあわせが、わしを導いてくれたのかもな。」
 「命も受け継がれて生まれ変わっていくものだけど、人間も人生の中でめぐりあわせによっていくらでもうまれかわれるのじゃないのかな。それもいっきにがらっと変わるんじゃなくて、一歩一歩歩いて前に進むみたいに、少しづつ少しづつ変わっていって、きづいたら、『あいつがこんなりなっ単価、びっくりだな」なんていわれるようになるんじゃないかと思うよ。」(71~72頁)。
 「若い頃の私を知っている人は、阿闍梨さんなんて呼ばれてるのを『あのさかいがねえ、、、」って思っているに違いないんだ。わしは、何歳からだって生まれ変われるっていう見本みたいなものだろうね。」(72頁)。

 結婚一か月ちょっとで実家に帰り、結婚してから二か月後に自殺した「嫁さんのこと」(72頁)、嫁の母親であるおばさんから比叡の「お山への道」(74頁)に案内されたこと、不動明王の剣で大蛇と闘う「お不動産の祠の夢」(77頁)を見たこと、「目を見開かせてくれたお師匠さんたち」(79頁)に出遭ったこと、「箱崎老師が、『酒井君、この日から始めるか?』と言って決めてくれた日は、ちょうど嫁さんお命日だったんだな。これは回峰をやれと嫁さんも背中を押しっているんかな、って思った。」(84頁)。{だから本当にご縁というものは不思議なもんだわな。」と言った話が続いて、「縁を『結ぶ』かどうかはその人次第」と結んでいる。」(85頁)。

 ここまでの話の出発点が、父親が家の神棚に捨てていった虫食いだらけの役行者の木遇を、雄哉さんが見つけたことにある。(66頁)。

2019年1月22日 (火)

酒井雄哉「この世に命を授かりもうして」(幻冬舎ルネッサンス新書)を読む(3)

 この書の結縁の章(66頁以下)に、「自分でも気づかむところに『因縁』がある」という見出しの文章があって、役行者の木像と酒井氏の出会いの話があって、

 「僕の持っていたお像(役行者の古びた木像)を見た箱崎師(叡山・飯室谷不動堂にいた人)
は、『なんだ、これは、おまえ、こんなものを持ってると、この裏山を歩くような人生になってしまうぞ』って言われた。」
 「そのときは、・・まさか自分が出家して行者になって山を歩きまわることなんて、思っても見なかったしな。そのとき訪ねた飯室谷不動堂が自分の終の住処になるなんてことも、箱崎師に厳しく鍛えられる人生が待ってるなんてことも、全く想像もつかなかったしね」
 「いろんなご縁やそうなる理由が絡み合っていることを『因縁』って言うんだけど、そういう不思議なめぐりあわせってあるものなんだと。」と、続いている。

 この木像は、雄哉氏の父親が、「事業に失敗して東京に逃げてったときに置いていたものや」と、雄哉氏の母方のおばさんが彼に語っている。そのおばさんが、「仏さまだから捨てるわけにもいかない、どこかのお寺にでも納めて来てくれるか、って言うから、『そんなら僕が預かるわ』ってもらうことにしたんだ。」(66~67頁)という、因縁話が載っている。

 この因縁話からわかることは、雄哉氏はこの世での生き方を役行者から授かられたということであろう。命を授かったというのは、生き方を授かったということなのだとわかってみれば、自分の一生の不可思議の謎も解けるということではないだろうか。

2019年1月21日 (月)

「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」の話

 テレビで、「サピエンス全史」の話があった。人類の生存を支えていたのは、「フイクション」であるということだっだ。宗教、帝国主義、資本主義のすべてが、フイクションであってそれが人類を今日まで引っ張ってきたという物語である。問題は、だがそれももう終わりで、今の人類に変わって「ホモ・デウス」が出現すると言い、その特徴は、知識集約的な知性的存在であるが、意識とか感情が欠落しているというものであった。 簡単に言えばコンピュータ人間なのであろうと思った。

 話の中で、農耕社会では農作物が人間を駆使し奴隷化しているという、主客転倒の発想が述べられていた。それならば、工業社会は製品が人間を同様に駆使し奴隷化している時代であったと言ってもおなじ意味が伝わるだろと思った。情報化社会ではデーターが人間を翻弄している時代だともいえるだろうと思った。テレビではそうした簡単なことが伝わってきたが、思い付きの面白さ程度の話ではないかという印象を持った。彼がいいたかったのはこれからの知識社会の自律性を指摘することにあったのではないかと思った。

 この1月20日の読売新聞では「平成時代名著50」にこの本のことを「虚構史観で人類史一望」という見出しで、生物心理学者の意見が掲載されていた。この書に続く「ホモ・デウス」は人類社会がいかに変貌するかの予言の書なのであろうか。読んでみないとわからないが、読んでみても理解できないかもしれない。それでも、ポスト・情報化社会のありようを想像したり考えたりしている人には、興味がワクワクする本であるのかもしれない。この「名著」の記事では、「(著者)ハラリは意識を持たない知的存在が人類に取って代わる未来を描く。あわせて読むべし。柴田裕之訳。(岡ノ谷一夫・生物心理学者)」と紹介されている。

 

2019年1月20日 (日)

黒船開国から150年の歴史を生活史的に振り返る

 明治維新で士族階級が消滅した。士族は武家社会の中心的存在であったからそれが消滅させられたことは社会の滅亡そのものであったのだ。

 武家の消滅に続いて、商家はカンパニーに変身することで生き残った。NHKの朝ドラでもこれをやっていた、天王寺屋は紀州のミカン農家になったが成功せずになくなった。

 武士たちは運が良ければ新政府の役人になってやがて今日の官僚の先駆となる。帝国大学が官僚の養成所となる。東京帝国大学がその中心的存在であった。今でもその系譜は引き継がれている。

 明治・大正・昭和と近代日本を支えたのは近代教育を西欧あるいは欧米に学ぶことであった。この時代に「洋行帰りが幅を利かせたのである。和辻哲郎の「風土記」その流れの中で生まれていた。日本古来の文化を蔑視する風潮もその中で世を風靡したのであるが、その反面で、国粋主義が台頭した。「廃仏毀釈」が日本人の思想統一を強引に進め、外来文化である仏教を根絶する勢いであった。その中で、西欧の帝国主義を真似て「大日本帝国」を建設した。

 敗戦によて、神国・大日本帝国は解体され、天皇は国民統合の象徴と位置づけられ政治権力の一切を放棄させられ、憲法のもとに存立するものとなった。国民は、「現人神」(あらひとがみ)の赤子であることから解放された。

 帝国主義に代わって資本主義が世界を風靡する中で、日本も「Japan as Nummer One」と、エズラ・ボオーゲルをして書かしめるほどに高度経済成長を果たした。だがこの「as」こそ曲者であった。見通された通り、ナンバー・ワンになることなく、1990年頃から「失われた20年」を経験したのである。

 さて、現在、AI失業が始まっている。明治以後の日本社会の象徴となった「サラリーマン」こと、組織労働者の解体が進行しているのである。「士族の消滅」から150年目である。黒船に端を発したこの国の欧米化、鹿鳴館文化、大正デモクラシー、昭和の軍国主義を経て今、日本消滅の危機に直面しているのです。

留学生のための学期制の変更と働き方改革の「原則と例外」のこれからの運用

 今、政府が打ち上げた「働き方改革」を巡って、「AI革命」を掲げた識者たちが、テレビでも今後の労働の在り方を議論している。今朝のNHKテレビ(ch2)でも話を聞かせてくれていた。どの話を聞いても「決めて」はないような模索の話に終わっていて参考になりそうではなかった。このような講話よりもAI現場からの実況放送のほうが、視聴者を引き付ける可能性は高いと思わせた。

 話の中では、海外、特にアメリカからくる日本留学生のためには、学校の始業機を9月に改めるべきだという意見もあったが、この話は1980年代に盛んに言われたことでもあった。その蒸し返しに過ぎない。なぜ、日本の学校春4月の始業を改めないのか。その理由とか歴史的根拠について話してくれる人をNHKが用意してもいいのではないかと思った。

 子ど成長を謳歌していた80年代には、私学では、外国からの留学生に9月入退学を認める便宜を計らっていたし、公立大学でも3月に卒業に必要な単位が整わなかった学生に9月卒業も認めていた。3月卒業、4月入学を絶対に譲らないの小中高であった。でも例外扱いでは認めていたから弾力的な制度の運用が出来ていた。

 原則と例外を巧みに使い分けるのは官僚の得意技である。原則変更には時間がかかるという答えがいつもあった。制度の弾力帝運用にたけた官僚、公務員が、社会の潤滑油のように働く。これを社会一般に拡張したのが非正規雇用の採用であった。この話は稿を改めて談じるとして、ここでは、働き方改革の原則と例外について突っ込んだ話をテレビでやってもらいたいと思っている。

2019年1月19日 (土)

酒井雄哉「この世に命を授かりもうして」(幻冬舎ルネッサンス新書)を読む(2)

 阿闍梨さんが、御自分の不養生からガンをこじらせてしまって、あまりにも早く亡くなられたのは残念である。その経緯がこの本では詳しく話されている。「元気すぎて病気なんか無縁だと思っていたし、無視いちゃってたからさ」という言葉がある。仕事優先で生きてこられたからそうなったのだと思う。世間にはよくあることで、医者にそのケースが多くみられる。お坊さんも同じだったのだと思わざるを得ない。半ば覚悟の死ということになるのではないか。使命を優先して自分をおろそかにするとこういう結果になる。

 命を取り留めたからの生き方について、「死は怖いものではない」。命は「無始無終」なのだという死生観が、この話の中で語られているが、常人にはそのように割り切れないので、人は死を前にしてもだえ苦しむことになる。

 「死ぬときは死ぬんだし、生きる時は生きるんだし、今生きていること自体がありがたい、と思って生きていることに感謝の気持ちをもって、『一日一生』と思って過ごすこと。いつもと同じような変わり映えしない一日と思うかもしれないけど、この『今日』の氷魚がまた来ることはないんだからね。」(50~51頁)と、話しておられる。

 心からこのように思って病気と向き合うことは常人にはむつかしいことだと思う。だけどこのように思えば死の恐怖も安らぐように思われる。このような境地に達することができるように自分の心をきたえたいものである。

 延命治療については、「治る自信がないなら、無駄な抵抗はやめなさい(51頁)」ときっぱり教えられている。この後、ご自分の一生がどのように運ばれてきたかについての経緯について話されている。その中で「生き延びるのには『生き残されている』理由がある。」という話が続いている。

 「今回、12時間尾手術が終わって、麻酔から覚めたときも、また生かしていただいたな、って思った。きっと、僕にはやるべきことが残っているんじゃないの。だからこうして生かしていただいてるんじゃないかと思う。」(63~64頁)。

 この最後の言葉が非常に気になる。長寿にはそれなりの使命が残っているからだという教えを受けた思いがする。私は満91歳である。どのようなことがやるべきこととして残っているのだろうかとあらためて思う。

2019年1月16日 (水)

映画「輪違屋糸里」と「アイ・フイール・プリティ」

 映画「輪違屋糸里」は、五位の桜木と言われた花魁の意地を根っこから掘り起こしたもので、苦界に生きる女の執念を感じさせた。「京女の幕末」という設定がその姿を生々しくしていた。浪士隊から新選組に変わったころの芹沢と土方の争いがストーリーになっていた。最後は、花魁が、一ツ橋公と会津公に路上の行列から挨拶する場面で終わっている。

 映画「アイ・フイール・プリティ」はアメリカの女性のあっけらかんとした虚栄の追及を描いたもので、あらゆる手管を巧みに使って自分の幸福を求める女性のまさにプリティな姿が画面をにぎわしていた。アメリカン・ドリームの一つの形を映し出しているようであった。

 この二つの映画は、管理された性欲の世界での女性のいじらしさ、健気さ、すさまじさ、を感じさせるくるわ(廓)という社会での事件の展開という暗さのある世界と、男性の性欲を巧みに利用しながら自分の満足を勝ち取る一種の明るさのある開放的な世界での自由の追求とが対照的な印象を与えるものであった。

 

人生の節目は70歳になったようである。それからの生き方を思う。

 70歳は残りの人生の始まりのように受け止められる時代になったようである。この歳ごろから身辺整理をする人もいる。遺書を書く人もいる。生き方を変える人もいる。この三拍子をまとめてする人もいる。

 守りの姿勢の人生が始まるのであろうか。身体的にはそのような対応が当然であると思われているのであろう。だが、精神的には、その逆でないと長寿は難しいと思う。私の経験では、73歳で定年退職してからが、やるべきことをやろう、やりたいことで成功したいという欲望が走り出して20年を超えている。身辺整理もしていないし、遺書を書くこともしていない。そういうことは死んだ後でいいと思っている。書斎も現役の時と同じように活動している。

 おかげさまで元気なので助かっているのであろう。お勤めがなくなった以外は、日常生活は以前のままであるから、何事も時計の針のように動いている。尤も、この頃の時計に針は無いので、これは譬に過ぎないのであるが、コンスタントという言葉で言い表せるような生き方である。

 それにしても、時計の針のように、昔は、アナログな生活を過ごしそれを楽しんだものである。ところが、この頃はデジタルな環境に囲まれて、余裕もゆとりもない生活にわれわれは追い込まれている。それが健康に良くない。なんでも即座に答えを出す生活に変わってきている。それが人生の余裕を剥奪している。

 起きたいときに起き、寝たいときに寝る。スケジュールは自分に逢わせる。それが70歳以後の人生を楽しくさせる。時間に縛られていないから健康なのである。私はそう思っている。それと、先々のことをあれこれと心配しないことである。死ぬときは死ぬのだから死にまでは元気でいようと思う。それができるように今現在に集中する生き方を選ぶことだと思っている。

2019年1月14日 (月)

酒井雄哉「この世に命を授かりもうして」(幻冬舎ルネッサンス新書)を読む(1)

 女優の市原悦子さんと哲学者の梅原猛氏の訃報が新聞に掲載された。あまりにも有名な人たちだったからなんだか親しい人を失ったような思いがする。
 人の一生などわかったものではない。いつどうなるかあら家事目知ることは本人であってもむつかしいという。だがたまには、自分の死ぬ時があらかじめわかる人もいる。死神がその人に寄り添って知らせてくれるのであろう。

 大阿闍梨の酒井雄哉氏は、頭頸ガンがステージ4になるまで医師の診断を受けていなかったと、酒井雄哉「この世に命を授かりもうして」(幻冬舎ルネッサンス新書、2013)にその当時の詳しい事情が掲載されていている。簡単にまとめれば、仕事にかまけて歯痛を甘く見ていた。顔がはれてきて周りの人が心配した。執事がたまりかねて医者の診察の段取りをつける。その結果先に書いたような病状が明らかになったのである。

 人並みの反省が阿闍梨さんの言葉で語られている。「病気が命のありがたさを気づかせてくれた」(18頁)、「病気を甘く見すぎていた」(22頁)、「なんでこんなになるまでほっておいたんですか!」(25頁)、「『生かされている』ことへの感謝を忘れてはいけないね」(27頁)、という見出しでその内容がまとめられているので、読者の多くは、大阿闍梨といっ立って、私たちと同じじゃないかと変な安心をしたかもしれない。以上のことが、{一、ガンを知る、己の不始末を知る」という見出しで括られている内容のあらましである。

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