2018年2月17日 (土)

銃規制にそっぽむく大統領

Trump puts focus of shooting on mental health, not guns.

今朝の読売新聞(The Japan News)の見出しの一つであった。

白人至上主義者の学校で教育を受けた青年が学校を襲撃して17名を殺した事件

に対する大統領の反応である。もはやこの国は銃規制ができないというよりも
 
規制しないが常識になっていることをうかがわせる。アメリカに居たころに、
 
アメリカの大学生がアメリカ人の特徴として挙げた項目に、MURDER と

GOING ON MYWAY があった。このことを世界は知っている。このような国民
 
によって世界が支配されている.アメリカではなぜ銃規制ができないのか。
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老境の悟りに偽りはない

 感激もしなければ、衝撃も受けない。すべては無縁だという生き方をする。それが平安をもたらす。それしかないのが老年である。自分自身にあきらめもしなければ絶望もしない。他者には何も感じない。真空にいる境地が己を生かしている。時間はもう永遠の相を示している。空間も無限である。それは架空であって架空ではない.真実であって真実とも言えない。夢想の境地なのかもしれない。すべての生けるものと別れ茫漠とした太地を歩くのみで風雨も襲ってはこない。何という静寂なのか。環境が自分を突き放したのか、自分が環境と別れたのか、そのことは定かではない。在ることのみが真実である。ここ迄の道程は計り知れない不安と迷いの中に限りなく続いていた。その無限を知った時に自分が解放された。架空の生を真実の生と錯覚していたのが現実であった。それが自分を取り巻くすべての人間の真実であった。それを意識しないままにすべては動いていた。それがこの世である。迷妄というも限りない。砂上楼閣というもはかない。砂漠に高層のビルが林立する。そのまやかしを手に入れるためにありとあらゆる人間が狂奔する。砂漠にオアシスを求める遊牧民を消滅させる。自ら不自然な時空を構成するために近代人が地球を荒らしてきた。もはやその極点に達している。原子力への依存がそのすべてを語っている。自分の憂鬱はこの環境から生まれている。

 

2018年2月16日 (金)

今の若者に戦後を語り継ぐ孤児育ち

 夜昼なしに働くんだってば、それが俺の人生なんよ。生まれ落ちてから親の顔を見たことない。それでもさ、生きてこられたのが不思議。人情ってのがあったのよ、あの戦後の闇市には。それも今じゃあ、誰も知らない。食うか食われるかの世の中で、見ず知らずの奴が助け合ったのは、皆が同じ境遇だったからよ。パンスケもオンリーも喧嘩したが最後には助け合った。でもさ、世の中が良くなると、その人情が消えたのよ。不思議じゃないか。同じ人間で、この間まで助け合っていたのが別れ別れになって、ビルの中に消えたのよ。もう闇市はなかった。ごみごみした中で人間臭を発散してさ、嗅ぎ合っていた仲間がそしらぬ顔で、白々しいマナーを身に着けたのよ。君たちは、その小せがれか娘なのさ。だからさ、お互いに白々しいのよ。教養の殻をかぶって取り澄まして、上品にふるまうのが生まれながらの宿命になったのよ、そしてさ、お互いに裏切ったり、蹴落としたり、だまし合ったりの競争社会を築き上げたのよ。面白いだろうが。死から命からがら生き残った世代の親父や母親は、ぼろをまとって、粥を吸って、闇で物資を手に入れて、警官に追われながら生き述べて、助け合ったのよ。それがさ、復興とかでましな世の中になると白々しい他人同士になって、お互いに相手を落とし込んで自分だけが浮かびあがる生き方が普通になったのよ。それが、てめえ達、息子、娘ってわけよ。そしてそれが民主主義の社会だと、誇らしげに胸を張って、おらたちの時代に敵性語と言って排斥された英語を上手に使うやつが、重宝がられる世の中になった。このような変わりようが世の中ってもんだ。人間は、生きるためにカメレオンのように環境に適応するのだ。一つの色にこだわっていてはダメってこと、よくわかるだろう。いずれお前たちの子供はお前たちとはすっかり違った人間になるってことよ。人間は、代々、自分と違ったものを育ててきたのよ。体外受精児も生まれてきているのだから人情もすっかり変わるだろうよ。自分の実の親がわからない子が育って大人になるのだから「血肉を分けた」ってことではないよね。俺が親の顔も知らないで育ったのと変わらないかね。

2018年2月15日 (木)

男女の愛のかたち

 バレンタインは愛の日である。昨日のバレンタインは、ドイツ映画で愛と憎しみ表裏一体であるドイツ人女性の一生をくるわせた映画を見た。たまたまその時間帯が都合よかったからとrいういい加減なことであったが、このヒロインの一生の描き方が二人の男性、彼女が愛する男性と彼女を愛する牧師で彼の友人との三つ巴の愛憎の葛藤がストーリーであった。
 ドイツ映画にいつも感じる「硬さ」があったように感じた。どことなくごつごつしていた。それにしてもヒロインは情念の塊のようでその激しさがこの女性の一生を狂わせたし二人の男性も巻き込まれてしまったような印象だった。ヒロインは狂おしい姿で精神病院に措置入院させられていた。

 バレンタインもいろいろである。戦争のない平和な世界が約束されるならば人はどれだけ幸福なことか。不当な差別のない世の中であればどれだけ楽しいことか。ハラスメントがなければ人は安らかに過ごせるのである。ほんのちょっとしたことから人はその人生が狂ってしまう。この映画は男女の愛のかたちに一石を投じていた。 

2018年2月14日 (水)

ごたごたを超えて

 今日は久しぶりに少しは寒気が緩み過ごしやすくなった。日差しが変わった。世界の政治と経済は相変わらず押し合いで行ったり来たりの様子。賢明な政治ではなくて貪欲な政治が好きなトランプさんが相手を恫喝する。全く品がない。小賢しい商人の狡猾な商いを思い浮かべさせるようで情けない。
 日本の国会でも「忖度」をめぐるやり取りがかなりの時間を食っている。これなども情けないことである。決め手を欠く攻撃は無駄が多すぎてうんざりさせる。勝負あったというような印象がないでもない。権力を牙城を崩すのはいつの世も大変であるという思いがする。
 でも、オリンピックでの日本の若者の活躍は男女ともに頼もしい。元気をくれる。うれし泣きする人もいる。ここまで来るのには大変な辛抱と努力が必要だったであろう。何よりもうれしいのは選手たちが競技を楽しんでいることである。
 

2018年2月10日 (土)

即身成仏の願いとは

 

  私の「即身成仏」は厚かましい願望です。そうありたいと思っているだけです。
 
迷って死を迎えるのは嫌ですからね。それにはこの世の欲を捨てちゃうような生き方がいいと自分勝手に考えています。これまでのすべてをこの世にお返しして出かけるのがいいと思っています。会社で言えば、清算法人になるってことでしょう。突然の倒産はしたくないってことです。

 今朝はこのようなメールを人に送って、自分のこれからの生き方の覚悟を伝えた。でも、死後の生もあるといわれてみると、この世とあの世の境を超えて、継続企業であってもいいのではないかとも思う、ではそれはむつかしいだろうから、新会社を設立することになれば万々歳であろう。

 

  

 

2018年2月 8日 (木)

戦後の世帯に起きた変化

 変わってゆく世の中についてゆけないということは当然に起きるのです。でもついてゆけなくてもそのままに生き残るということも当然に在るのです。若者の覇気と古老の知恵がこの世の進歩を支えるという現象はあちこちにみられた時代があったのです。でも戦後の進化とともに楚々様相は一変しました。

 古老の知恵が働かなくなると若者が先走る先鋭化した社会が生まれる。それを進歩だといっていいのか思案のいるところである。世の中の円満な発展を望む立場からすれば老幼男女のすべてを包括した価値観の輪が必要であり望まれる形である。これは鍋底を突き合う暮らしの中から生まれる。その核となったのが世帯であった。そういう生活をいつの間にか捨て去って餓鬼の集まりのような家庭が戦後に出来上がったのである。
 しかもそれを進歩と受け止めた。新しい日本人の生活のスタイルを象徴したのが日本住宅公団の集合住宅であった。鍵のある生活、個室を賛美する家族、近隣相互が鉄の扉で閉ざされた閉鎖空間、都会の核家族化がそれから生まれた。そこで切磋琢磨されたのは出世競争である。その機運を高揚させたのが東京オリンピックと大阪万博であった。
 その戦後文化が50年の歳月を経ていま疲弊のどん底にある。人口減少社会に転じた現在、それは少子高齢化の弊害となって表れている。古老の知恵が尊重された時代は若者のほうが圧倒的に多い多産社会であったのに比べると全く逆の人口構成になっている。これでは若者が自分たちの活路を発見するために先鋭化せざるを得ない。そうならないで若者が地べたにへばってしまえば民族の未来が危ない。

2018年2月 6日 (火)

貯金と預金に映る世相の推移

 預金と貯金の違いは懐かしいですね。日本貯蓄銀行の立派な通帳を思い出します。お金を貯めるように奨励されたのはいざという時に困らないように庶民に教えていたのでしょうし、たんすにお金を隠すよりも安全だと教えていたのでしょう。それにわずかな金利がついていたのではないかと思います。それに郵便貯金が全国に広まっていましたね。ごく最近のバブル期に、郵便貯金の金利が8%というので銀行の預金を郵便貯金に移し替える主婦がいらっしゃいました。全国どこでも郵便局があったので農山村などで銀行のないところでは郵便貯金が唯一の貯金機関でしたね。
 都会では銀行が住宅地域にも支店や出張所を設けましたので主婦が銀行に預金する機会が増えました。普通預金と定期預金のセットを銀行が勧めました。年金の預金を銀行が競って集めました。でも今はイオ金はいらないという時代になったようです。

そこで、預金金利が下がり始めたように記憶しています。預けた金を銀行が貸付の資金にするという仕組みの中で預金金利がついいていたのですが、預金を貸付資金の源泉に期待しない時代になって、預金に金利をつけるのは重苦しくなったのではないでしょうか。逆に、預かり賃を戴くということで預金者が手数料を支払うような時代が来るのではないでしょうか。最近の日銀のマイナス金利の発想が銀行預金にも及ぶのではないでしょうか。

 

2018年2月 5日 (月)

90歳を超えて人生の覚悟は何か

 90歳を超えて人生の楽しみといえば健康人生き続けることである。それ以外に欲張ったことを考えても望んでも実現はむつかしい。何しろ身体は衰弱の方向に傾いているのだし気力も衰えているのが普通の姿のようである。人もそのように受けとめているだろう。それが正直なところであると思う。
 だが老いてなお強欲を楽しもうとする人いるのも確かである。世間ではそれをあふるような商売も盛んである。それは誤ったことではない。人生の最後に贅沢したいというのも人情である。しかしそのために身を亡ぼすことも多い。人に薄情になり自分に贅沢になって自分さえよければいいというようにふるまってはばからない。今の老大国化したアメリカに似ている。トランプさんがそれを象徴している。そんなことでは尊敬は得られないばかりか忌避されるのが落ちである。
 老いてそのようにはないりたくない。そう思う心情の湧き起っている老人も他方にはいるであろう。古来から日本人には清楚を楽しみ隠遁して人生の終末を迎えるのを良しとする風習があった。静かに自然の中に身を置いて、研ぎ澄まされた観念をまろやかにする情の世界に自らを置き静思黙考に没頭するという生き方が選ばれたものである。そしてそのまま、万物への感謝と愛を自らに諭すような生き様を好む。そのような心で向かい合うのにふさわしいのが日本庭園である。お寺の庭にはそうした趣きが漂っている。観る者の心が洗われるように整えられている。
 さて、そうした中で、人生の最後を飾るにふさわしい生き方はと思った時に浮かぶ文字は、即身成仏であろう。天台、真言、日蓮宗がそれを説いている。
 

2018年2月 3日 (土)

旅から人生を学ぶ

 人生は見知らぬ土地を旅するようなもので、何があって何がおきるか初めはわかっていない。旅を続けているうちに次第にあたりに詳しくなる。それで歩き方を覚えてしまう。自分なりの旅ができるようになると自信が出来て来るので旅の不安が少しづつ減少する。自分は旅の達人だと思い込むようになる。そうなると旅を軽く思うようになる。人生を侮るようになるのはこの時である。
 いつの間にか既定のコースが出来ていてそれを何度もたどるように旅をする。新鮮味はないのだけれども安心感がある。気が付けば年をとっとぃる。旅慣れた旅人になって同じ旅の繰り返しでも新鮮さを発見する才能が培われている。人生とはそういうものだという才覚が備わっているのである。これが生活の安定に役立っている。旅から人生のあり方を学んだのであろう。
 旅そのものを旅するために旅するのでない旅の真価はわからないという。そうなんだろうと思うがそれ自体が大変なことである。寅さんに聞いてみないとわからないだろう。

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