道を創る
「道」と書いて何と読むといわれると、誰だって「ミチ」というだろうか。中には「ドウ」という人もいるだろう。地図で道を探すときには、ミチをドウということが多い。東海道、中山道は有名である。人の精神を鍛える時にも、道徳、道理にかなった行動を求めるという。芸術でも、茶道、華道という。ミチという表現は、「ミチを歩く」というよう様な時に「道」を歩くと書いて使われることがある。
道を教えるという教育では、道徳や道理を説くように、道は観念、思考、理念、美観など、優れた人間の思考や感性に適ったものとして受け入れられている。街道はそれに倣って表現されているのであろうか。武道は武術の何をさして表現されているのだろうか。街道は物理的な道を指しているが、武道は武術の精神的な心得を指しているのであろう。
人間、人生の最後に何を創ればよいかと問われた時に、どのような答えが浮かぶだろうか。道を創るのが最高だと思わないでしょうか。これはドーロという意味での物理的な道です。山村僻地で一番欲しいものはドーロである。このドーロは街道のように偉大なものではないが不便を解消する親しみのある道である。全国版が街道であればこれは僻地の山道であろう。でもその価値は其処に住む人たちにとって街道にも劣らない。