2017年11月17日 (金)

ゴミ出し異聞

  

 

今朝のゴミ出しでも思った。老人はゴミステーションまでゴミを運べなくなっている。各戸の玄関前に置くことにするしかない。宅配ならぬ宅集である。環境局員が面倒だったり職員が足りないとかするだろうがそれで現行通りではごみの家が生まれる。宅配業者のやり方を勉強して環境局が宅集するか業者に委託するかとにかく宅集に切り替えないと健康で美しい街が消える。そのコストは住民負担になるのは当然のことでしょう。ゴミ税で住民の一律負担になるでしょうね。

  地方自治というのは中央からの指令や指導や委託や委任で遣るものばかりではなくて、自前の住民自治の比重がそれを超えるようであると健全である、住民が自分の街(市町)に誇りを持つことができるから。それが府県と市町の違いなんですよね。府県は行政事務の80%が中央政府からの委託、委任、指導、指示の中のおさまっているでしょう、住民行政は市町の仕事だから。府県と市町のすみ分けをはっきりと住民に分かるように広報、公報、公示すべきですね。住民と市町の役所が協力できる嬉しい。環境を演出し実現するのが市町の役所の誇りであり仕事である。それが成功するのは住民雄自治会(隣組、隣保班)の協力があってこそですからそれを引き出す努力が双方に必要ですね。民生委員、児童委員などのなり手が無いようでは困ります。                   

地方自治

 

 

私の記憶では平成の大合併以前は地方自治体は3300ぐらいあったのではないでしょうか、それが現在では1968ぐらいになっているのではないでしょうか。
 当然ながら中央政府としては統治しやすくなりましたが、ムラ単位での生活習慣に慣れて来た地方ではヨソと同じになってしっくりしないのではないかと思います。

  たとえば、T市がK町を呑み込んだのでK町の町議会が亡くなってT市議会に1議席が与えられたといって町の陥没を託っていました。KS町などは海浜から山奥まで広がって庁は3地帯がバラバラの生活スタイルでまとまりが悪いとか。
   考えさせられますのは、この合併は当時必要不可欠という雰囲気で進められたことです。それは県庁からの見ての話でした。この段取りでいうと、この次は、府県の合併です。たとえば、高知と徳島、島根と鳥取の様に。これらの県は選挙ではそれぞれ一つになっていましたね。この府県合併は、統治し易いといったことではなく、それぞれ一県では県政が維持できない程に、人工が減少し、産業が衰退し、税収が減少しているからという経済規模の適正化が目的にならざるを得なくなっているからでしょう。

 そこで興味がありますのは、今回勉強なさった地方自治法は何を狙っているのかということです。道州制と地方自治布石を打っているとしたら野心的ですね。でも政治(議員)と行政(官僚)の対立がこのような問題では不可避ですからそこまでの冒険はしていないでしょうし、その意欲もないでしょう。税収規模での地方自治体の再編は早晩不可避になりますからその展望を踏まえたものであってほしいのですが。其処まで踏み込んでいないでしょうね。それでは、AIIoT に対応する地方自治行政とその事務の再編・改正を取り込んだものでしょうか。

 

2017年11月16日 (木)

公務員

明治政府が廃藩置県で全国を支配した時に官選知事を置いた。これで藩政による自治は消滅しました。その後、都道府県をして 市町村を管理させました。初代兵庫県令は伊藤博文その人であった。地方自治が生まれたのは敗戦の結果で連合軍の統治時代がその根源だった。

 公務員をパブリックサーバント「公僕」と言ったのはアメリカからの発想だったかな。 ある時、県の職員に聞くと、パブリックサーバント「公僕」という表現は大嫌いで、公務員がいいと言いました。このニュアンスが面白かった。官憲思考で働くことに誇りを持っていらっしゃったのでしょう。

 

 政令指定都市は生意気だとおっしゃる県職員いらっしゃいました。自分たちの配下の様に動かないからでしょう。それに比べて市町村は「予算付けないぞ」という脅し文句のもとに従わせる快感をお持ちのようでした。ある時、大学に配属された課長さんが嘆いておっしゃいました。

 「許認可権限がない」。県庁では許認可権限で上から目線の「行政」をやってらしたのでしょう。政令指定都市の職員さんにも同じような公権力行使の意識をお持ちの方がいらっしゃいました。これが公務員であることの誇りのようでした。

 国家主権にぶら下がった考え方や信条では公権力行使の側に立っていることが職業上の誇りなのでしょうが、国民主権のもとでは公務員は公僕です。本家のアメリカではそれが常識でしょう。公僕意識で働くというのは行政を住民の論理と倫理で律するということですが、住民が主権者としての意識も良識も知見も持たないのでは公行政(パブリックサービス)を施す地盤がない。 よい土壌があってこそ蒔いた種から芽が出る。1995年、2011年の大震災以後、官民協力が浸透し、公僕精神は徐々に成果を上げているのではないでしょうか。 

2017年11月15日 (水)

人間は脆いものである。

  日馬富士、えらいことやってしまった。インテリ相撲取りも酒乱には勝てなかった。これで一生を棒に振る。残念ですね。普通の人間にもこの悪い癖を持ったものは沢山いる。酒席は人を狂わす。この国には,「酒の上で」という格好いいのか悪いのか都合のいい言い訳もある。でも今度のような事件はいいわけでは済まない。

 怒りの感情で一生をうしなうことはよくある。噴火のようなものである。いつどこで起きるかわからないと不安である。そういうタイプの人間が上司であったり指導者であったり権力者であったりするとその配下にある人間、その影響を受ける人間はたまったものではない。不慮の災難に出会うことになる。

 最近は老人がよく暴れるという。自分のふがいなさを爆発させるのであろう。何かにつけてひがみ根性になっている老人がいる。いつまでも若者の上に立って指導したり支配したりしたい厄介な老人がいる。自分の権勢を忘れられない老人がいる。何事についても口を挿む。こんな老人が増えているらしい。60、70歳代の老人が最後のあがきをしているのである。80歳代になるとさすがに観念している様子がうかがえる。90歳代では最早体力も気力も衰えて静かになっている。世間から完全に疎外されている。保険でも80歳代までしか勧誘しない。

2017年11月12日 (日)

最近の国際情勢に想う

 先の投稿が1日だったから相当に日が経った。別段居眠っていたわけでもないが日のたつのは早いものだ。3日文化の日、6日誕生日と忙しかった。今日は日中首脳会談の首脳の握手する姿がテレビで放映されていたが、先日のトランプと習近平両氏の握手とは雰囲気が全然違っていた。日本は中韓から歴史問題の解決を今なお執拗に迫られている。これを外したい日本に対して中韓は絶対に手放さない。このデッドロクを無視しては何も解決しないというのが中韓の基本的な態度であろう。日本人の様に何事も「水に流す」習慣は両国民にはないと思って間違いないであろうから、これを避けて通るという日本の態度がいつまでもわだかまりを残すであろう。
 21世紀に入って世界は変わった。2001年9月11日のニューヨークでのテロ事件以来、アメリカは報復に動いた。それ以来世界は複雑怪奇な動きを続けている。それは世界に分離独立の風を吹かせ民族独立に舵を切らせている。英国のEU離脱がその象徴となった。アメリカは「アメリカ第一」でこれまでのグローバリズム推進を破棄する動きに出ている。TPP離脱、環境を巡るパリ協定の離脱がその現れである。自国の利益のみを狙う矮小な精神構造の国に英米が転換したのである。 その中で中露の存在感が増している。
 あの大航海時代の覇者は今見る影もない。若かったアメリカが20世紀の世界政治の主役になった。21世紀は今、アメリカ、ロシア、チャイナの三国による覇権争いが目立っているが情勢は混沌としていて出口は解っていない。すべてはEU の将来に関わっている。

2017年11月 1日 (水)

幸福を求めて

 幸福でありたいという思いは、通常は物質的次元での発想としてとらえられているがそれを追求して行くことは不幸にみちびくことが多い。立身出世を遂げたり、金銀財宝を蓄えたり、人心を飾る名誉を手に入れたりして、幸福を感じるのは物質的満足である。人は通常それらを求めて努力するのであるがそれでは本当の満足を得られない。こうしたものは自分の身に付かないで霧散する。これらは人生を飾るものでしかない。富も名誉も地位もなく生きている人間は何に満足を発見するのだろうか。親兄弟子供に恵まれた人は肉親の愛に幸福を発見するのだろうか。知己友人に囲まれた人は友愛に幸福を感じるのだろうか。師匠弟子と苦楽を共にする人は互恵に好意服を発見するのだろうか。これらはいずれも精神的な次元での幸福を意識している。更には自分自身の宿命運命生態を顧みて幸福を発見できているのだろか。この問いは現世だけの自分を対象としているのではない。前世現世後世につながる自分を意識して幸福とは何かを問い直している。
 物欲すなわち物質的次元での幸福を満たされた人が肉親との相克、知己友人の離反、師弟の情の消滅などで消沈するのは不幸の始まりである。それは心に空洞が開いた状態であり疑問不満絶望に襲われる。これこそ不幸そのものである。それから立ち直らなければ生命が枯渇する。人はその時その場に凋落するかそれを脱して立ち直るかの岐路に遭遇する。

この危機に際して人が取る行動は不思議なことに超絶である。何もかも諦めて運を天に任せるという自分を捨てた生き方がそれである。天と自分の繋がりの意識が無意識に働いている。神仏が人の意識に立ち現れるのである。かなわぬ時の神頼みである。その願いが叶えられるように修験修行信仰するのがこの国での習わしであった。これを一つのものにまとめたものが遍路である。遍路によって人は己を洗浄し霊界に近付く。神々の居ます地を巡り御仏に出会う。最早、物欲にこだわらない心境に達して自らの心が大きく膨らむ。魂の次元がそれを受け止める。其処に平安安心安らぎが生まれる。これが本当の幸福であろう。遍路は本来死出の旅であった。二度と生きては帰れないという思いをもって遍路に出たのが昔の人であった。それほどの苦行であったし帰らないという覚悟で旅立ったのが遍路であった。幸福が欲しいというのは究極的には満足して死出の旅に出ることである。なお生き残っているとすれば遍路満願が幸福の証しとなる。この遍路はヴァーチュアルであっても心の底から魂に届くような思いを体現しているのであればリアルである。修験の流れを汲む比叡山の僧侶による千日回峰はプロによる遍路の一つの形であろう。最後に一言重ねよう。「満足して死出の旅に出られれば幸福である」と。〈2017111

 

2017年10月31日 (火)

ビジネスモデルの変更

 この国の産業が現状のようになったのはトータルとしての人間力の退化からでしょうね。慢心していたのでしょうね。それに会社への帰属意識が亡くなったのが大きな原因だと思いますね。日本的経営を海外から破壊されたのですものね。しかも日本の経営学者がそれを太鼓叩いていいことだと宣伝しました.日本らしさを捨てた日本人は丸裸にされたと同然だったのですね。それで骨なしになった。自分だけという我利我利亡者に転落して会社の秘密も持ち出して自分の再就職の条件に利用しました。海外の企業がその技術を手に入れるとその後は使い捨てにしました。こういう人たちが増えて日本はつぶれましたね。

 後の残った若者はその背中を見て、しっかりと自分本位に勤めることを生活の信条としました。それに対向するように会社は非正規雇用を増やしました。会社が働く者を粗末に扱うようになり、働く者はカネだけで動くようになりました。技術の伝承などは継続できなくなりました。まさにアメリカ的経営になったのですね。アメリカのマニュアル労働者の排除を狙った経営の後追いですが、遣りようによっては少数精鋭の労働者が結束して怠慢な経営者を排除することで会社を立て直す可能性があるでしょう。経営管理の殆どがAI 化とインターネット化で自動化されるでしょう。営業、経理、税務、総務はその標的になります。ホワイトカラーの排除です。これで間接費といわれる固定経費を極限まで削減した企業が勝利するでしょう。

 すでに、メガバンク数行が、ビジネスモデルの変更に着手する意向である記事が新聞紙上に出ていました。

政治と人情

 台風一過、秋空が美しい。だけで少し寒くなりました。松の剪定に来たおじさんがゴミ出しの私にあいさつ代わりに言いました。今朝は山尾さん(ダブル不倫疑惑)の当選がインターネットの記事になっていました。「保育園落ちた。日本死ね」を国会で取り上げ手安倍総理を追求したことで有名な議員さんでした。この度は、無所属で逆風のなか序世評を集めて、自民前職を破って当選を834(闇夜)で果たしました。愛知の女性のこころだ現れました。個人攻撃よりも仕事の実績を評価したのだろうと。
 
 今朝のゴミ出しでも思った。老人はゴミステーションまでゴミを運べ無くなっている。各戸の玄関前に置くことにするしかない。宅配ならぬ宅集である。環境局員が面倒だったり職員が足りないとかするだろうがそれで現行通りではごみの家が生まれる。宅配業者のやり方を勉強して環境局が宅集するか業者に委託するかとにかく宅集に切り替えないと健康で美しい街が消える。そのコストは住民負担になるのは当然のことでしょう。ゴミ税で住民の一律負担になるでしょうね。
 
 地方自治というのは中央からの指令や指導や委託や委任で遣るものばかりではなくて、自前の住民自治の比重がそれを超えるようであると健全である、住民が自分の街(市町)に誇りを持つことができるから。それが府県と市町の違いなんですよね。府県は行政事務の80%が中央政府からの委託、委任、指導、指示の中のおさまっているでしょう、住民行政は市町の仕事だから。府県と市町のすみ分けをはっきりと住民に分かるように広報、公報、公示すべきですね。住民と市町の役所が協力できる嬉しい環境を演出し実現するのが市町の役所の誇りであり仕事である。それが成功するのは住民雄自治会(隣組、隣保班)の協力があってこそですからそれを引き出す努力が双方に必要ですね。民生委員、児童委員などのなり手が無いようでは困ります。
 
 

2017年10月28日 (土)

雑言  自分の生命をレフレッシュする

 
 
もう終わっちゃった人生じゃないか、そう思いながらも、未練たらしく生きている。それというのも何となくこの世は楽しいからである。やるべきことは皆やったという気持もあるがまだやれることもあるという気持があって元気を出しているこの頃である。見渡すと、辺りは茫漠とした景色でこれまでの景色とは違っている。別の惑星に来たようである。そういう思いで熟視するとこの世の中が全く別の姿で輝いている。異生物がいても不思議ではない。人間が好き勝手に振舞って来た頃は見かけなかったような生物が人間に取って代わっている。人間同士の争いは終止符を打っている。最早自滅したのであろう。お互いに殺し合ってしまったのだ。その残骸を地球の外に捨ててしまったのは新しく登場した異生物である。そういう夢を見て目が覚めた。この謎を解くためにこれからどれだけの時間が必要なのかはわからない。でもそれをやってみたいと思う。生きるということはこうした欲望によって不滅の衝動を繰り返すエネルギーの働きである。常に未知のチャレンジが作動する。こうして自分の生命をリフレッシュする。

2017年10月26日 (木)

今度の選挙で賢くなったか。

 希望が惨敗し絶望になった。その原因はこざかしいことにあったと一般の評価が降りたのではないかと思う。策士策に溺れるのたとえの通りだったのかもしれない。むつかしことや裏の事情などはプロや事情通に任せるとして、今朝の6chでああそうかとわかったことは、比例順位の選び方だった。選挙では32000票しか得られないで落選した候補がこの党の比例では2位だった。89000票を獲得した馬淵候補は3位だった。何がなんでもこれはおかしい。
 おそらくこのようなことがすべてのことに現れていたのであろう。それが見透かされてしまった。期待を裏切られた選挙人の怒りと恨みと絶望がそのまま惨敗の結果となったのであろう。これではこれから政治を任せる気になれないのではないか。この党は一から出直すしかない。新しい党首を決めて再出発ということになるのではないか。二足の草鞋で凌げる場面ではない。プロの世界のことは解らないが素人の有権者としては納得できないことが多いのではないか。すでに内紛らしいものが始まっている政党に国民は政治を預けるわけにはゆかないという気持に襲われているのではないか。

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