2018年8月11日 (土)

災害に思いをはせる夏

 今年は災害が列島の各地で発生し被害も多きかった。これから9月にかけては台風シ-ズンである。台風が東から西に向かってきたのは、私の90年にわたる人生の中では、初めてであったように思う。
 災害復旧は並大抵のことではない。個々の家庭にとっては、人生が狂ってしまうほどの惨事でもあるほどに、その影響は大きい。いよいよお盆休みが始まったが、休みどころではない家庭が沢山あるだろう。災害によって生活環境が破壊された。これが自然災害の恐ろしいところである。自然が牙をむいて襲ってきた。それが人間による自然開発の結果であったとすれば自ら招いたことになる。

 こうした自然災害は世界各地でも発生している。アメリカのカリフォルニヤ州の山火事が多発しているというニュースもあった。地球温暖化の影響なのだろうか。日本の気温も平年よりもぐんと高い夏である。このまでいつまで続くのか心配である。

2018年8月 7日 (火)

天然の生物の危機が到来か

 体外受精児が年間5万人程度生まれているというニュース。これはびっくりだったんですが、希望する人がいるのだからこれからも盛んになるでしょう。血統社会のひび割れですね。

 今朝の「読売」には「食のゲノム編集どこまで」という記事がありました。遺伝子組み換えからゲノム編集へと人工化の技術も進化しているようです。人間の試験官ベービーの時代がそこまでやってきているというのですから、天然の生物の危機かもしれないですね。

 これらに共通しているのは品種改良です。人間も品種改良の仲間に入れられるような時代が到来した。ゲノム編集技術の恐ろしさが見えてきたようである。優生思想による人間の選択という恐ろしい事実がありましたが、生まれる以前からその選択をするのがゲノム編集でしょう。人造人間なんて、おそろしい言葉が生まれていますが、「子供は神様から授かった」という思想はどこへ消えてしまうのでしょうか。

2018年7月27日 (金)

給与で生きるか報酬で生きるか

 

 年令を忘れて生きることができる社会があれば人の健康は増進する。社会には年齢の壁がある。昔は、長幼の序が社会の決まりであった。職場には今でも定年がある。年功序列で給与が決まっている。給与生活者はこの枠の中で生きている。昔の武士はその典型だった。

 商いの稼ぎや報酬で生きている人間にはこのような年齢差別ははたらかない。自分の力量次第である。力量はなくても報酬にあずかれる身分の者もいる。これが特権階級である。

 給与と報酬との違いで人生の在り方がすっかり変わっている。勤務医と開業医の違い、会社員や学校の先生と自由業(弁護士、会計士、税理士、各種の書士など)の違い、これらの職業の違いで年齢に対する心構えも違ってくる。それをすべて年齢でとらえようとする意識構造がいつの間にか社会に定着している。そういう社会では安定志向が働いている。

 給与生活者なのか報酬生活者なのかをあいまいにしているのが地方自治体の首長たちの退職金の支給基準である。彼らの退職金は自治体職員の退職金支給基準をあざ笑うかのように高額である。これは彼らが政治家としての報酬を上乗せしているからであろう。

2018年7月26日 (木)

地球温暖化は「経済」のツケか

 2100年夏の日本列島の平均温度は45℃。ちょっと待ったと言っても。こればかりは自然の勢いだからどうしようもない。TV6chで伝えている。熱帯性植物が日本でも育っているという。

 自然も人も変わったというが、地球温暖化を招いているのは人間の所業である。人間があらゆることで自然を荒らしまわっている。経済万能主義が世界を変えている。地球環境に対する悪影響を生む人間の行為を抑制する努力がおろそかになっている。アメリカのトランプ大統領はパリ協定からも離脱すると言い放った。環境影響を無視しても利益優先という愚かな知性の持ち主である。彼ようなのが実は沢山いる。経済大国日本にしびれた過去が今も心理的に引き継がれているのではないか。トランプ信仰がこの国の経済人に沁みついてきている。理想でも善悪でもなくて、目先の損得が最優先されている。経済の人間にとっての本義を忘れている。いや、それすらも知らない。経済とは儲けることだと信じている。

2018年7月25日 (水)

自分しか見えないととんでもないことになる

 これからの日本、どうなるかっていう心配をするよりも、どうするかって思案するほうが生産的である。一人一人が、自分はどう生きるかを思案し決心し行動すれば何かが生まれる。

 自分が生きることに懸命になっていると、自分のことばかりが気になって周りのことが見えなくなる。そういう状態で「仕事」をすると碌な結果が生れない。

 戦時中の軍部は自分たちのために戦争をした。天皇陛下にも「勝った」という東条英樹の言葉が残っている。彼らのために国民も犠牲にされた。関東軍という野望集団のために神国は亡ぼされた。

 最近は官僚の不行跡が断罪されている。各省の次官級の犯罪が相次いでいる。国家のためと葉嘘ばかりで私利私欲に走った。幼い頃からの出世欲教育の結果が出た感じである。

2018年7月24日 (火)

老人の再起に懸ける

 老人の間でマハティール旋風が吹いている。93歳で首相に返り咲いたマレーシアの政治家に老人たちが元気をもらった。日本には100歳の中曽根元総理がいらっしゃる。
 理想を失って現実妥協に走っている政治家には国を失う危険がある。さしずめ、トランプに引っ掻き回されて右往左往しているのではないか。

 国民も同様である。いま現在の利益に走って理想を失うと敵のツボに落ち込んでしまう。トランプはそれを狙って仕掛けている。安部さん、大丈夫なのかと国民がハラハラしているのではないか。兎に角世界をなめ切った大統領であるトランプ氏に振り回されてはたまらない。

 老人が理想を若者に告げる。そういう時代になったのではないか。政治が国家百年の計を見失っては国民が災難である。

2018年7月22日 (日)

自然災害と熱暑に打ちのめされる

 久しぶりに戻ってこれた感じ。読む画面ばかりがアップされて打ち込む画面が出てこなかった。今日はすんなりと入り込めた。

 さて、このとこ頃の暑さはまさに炎熱地獄のようである。このまま7月末まで居座られると何かと不都合が発生するだろう。 老人や子供は耐えられない暑さである。其れなのに、屋外で体育の授業をやった学校があるんだっていうから、正気を疑いたくなるね。40℃に近い気温が幾日も続くと犬猫だって、動物園の猛獣だって、弱り切るだろう。日本列島が南に流されたようである。こんな時に地震が起きたり、豪雨に襲われるとたまったものではない。先般来の豪雨で山崩れや、洪水の被害が出ていて、その復旧もなかなかはかどらない状況であるから、この上に災害が重なると住むところがなくなる。

 とにかく、異常が重なって復旧のめども立たない地域が多々出ている。避難所生活もこの暑さでは大変である。仕事を失った人もいるだろう。日常生活が破壊されたままに日が経っている。風呂にも入れないでは生きている心地がしないだろう。真夏の熱暑と戦っているだけで疲労困憊する。どうして自然がこれほどに狂いだしたのであろうか。

2018年7月 3日 (火)

世話物と文芸もの

 映画「空飛ぶタイア」はすっきりした気分で終わった。最後に弱いものが勝利したからである。世の中の姿をリアルに映し出していた。勤め人の悲哀がよく出ていたし、義憤が動因になって映画を引っ張っていたことに魅力があった。世話物である。

 映画「羊と鋼と森」は重苦しくてしんどい気分に悩まされる。ピアノ旋律師の苦闘を描いたものであるが、その心を映し出していたのが「森」であろうか。癒しと救いのような働きをしていた。文芸作品という印象であった。

 

2018年6月19日 (火)

品ぞろえのポリシーが違うようだ

 ある本を電話である本屋に注文すると、電話を掛けたままで長い時間またせて、やっと出てくると、在庫がない、注文ですと一週間から十日は掛かりますという。注文しかけたがふと思い直して別の本屋に聞いてみると言って電話を終わった。別の本屋は最初女性が電話に出て注文を受けたが、在庫を調べますと言って、電話番号を尋ねたので知らせて電話を切る。待つ間もなしに今度は男性が在庫が一冊有りますと電話してきた。即座に注文する。一昨日の新聞朝刊に広告が出ていた本である。少し前に別の本を注文した時も最初の本屋には在庫がなかって取り寄せになったが、同じ本が後の本屋では在庫があった。 
 新刊書や有名既刊書の扱いがこの二つの本屋ではすっかり変わっていた。いつも取り寄せになる本屋ならば住宅地にある小さな本屋では当たり前だが、ともに神戸三宮の繁華街にあってこの違いである。戦前からの本屋でその名を知らないものはない本屋が昔ながらの商売をしているようだったが、後の本屋は戦後生まれの本屋で同じ繁華街に三店舗も構えている野心満々のような本屋である。働く人の心構えも違っているように見えた。そんなことから透いて見えたのは老舗の老衰化である。老舗と新進気鋭とではトップの経営姿勢がすっかり違うのであろう。人の働かせ方も違うようである。

2018年6月13日 (水)

「終わった人」はプチブル趣味の映画だった。

 映画「終わった人」は、恵まれた定年退職者のその後の生きざまを、贅沢に描いたもので、普通のサラリーマンではとても経験できないハイレベルの暮らしを当たり前のように描いている。東大法学部卒業、有名銀行の専務(?)で定年、こんな経歴の人はそうざらにはいないのだから世間の定年退職者の定年後の生き方の参考にはとてもならない。嫁さんは美容院を1000万円出して始めるというのだから、そして社長になった本人の会社の借金をまるまるかぶってしまっても平気な暮らしができているのだから浮世離れしていた。盛岡の高校が母校で体育部の応援に出かけて騒ぐ余裕もあるのだからめでたいことであった。ちょっとした浮気話の女が自分の長男の浮気相手だったりするというエピソードまで添えたあった。夫婦の別れ話もすんなり収まって愛を再確認する最後のシーンは桜満開であった。昔の言葉を使えば、プチブルのお遊びである。

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