2017年6月20日 (火)

灯台守の夫妻

 昭和33年の春4月のことだった。大分に赴任することになって初めての土地のことがなんだか不安だったことを60年ほど近く経った今も覚えている。その頃に見たのが佐田啓二の「灯台守」だった。妻と二人で、という情景が何とも言えないしみじみとした気持ちにさせたのである。岬に突出した灯台はそれだけで世の中から隔絶した暮らしの厳しさをほうふつさせるに十分であった。潮風、暗雲、岩に砕けるしぶき、暴風になぎ倒される岩肌の草木、深夜に聞こえる遠くの汽笛、カンテラを手に持って動く防人の姿、しっかりと夫を支えている妻の健気な姿、それらに吸い込まれるように映画を見たものである。
 今回は「光をくれた人々」で、灯台守の純愛に触れた。帰還兵が選んだ灯台守の仕事、彼に惚れた女性のいちずな行動、ある日灯台の崖下に漂着した小舟の中で生きていた女の幼児、二度の死産に絶望していた矢先のことで、この子を拾って育てる。夫は届け出るべきだという意見だったが妻は内緒でわが子として育てる。それがすべての事件の発端だった。
 同じ灯台守夫妻のものがたりであったが、趣が全く違っていたので、お国ぶりを思わずに比較した。

2017年6月17日 (土)

土曜日は寅さん

  三度の飯にありつくために人は苦労して来た。これが日本だった。その苦労の無い人間は仲間じゃない。寅さんを見ていてそういう思いがぐっと来た。土曜はやっぱり寅さんというが、ほんまにそうだと思う。いやされるのだから仕方がない。理屈などは無いし、不条理なことは人情で埋めている。寅さんのような職業をテキヤというのだろう。的に矢が当たれば大儲けということらしい。
 そんな暮らしは常人には向かない。だが、寅さんは巷間に格別な人気がある。安らぎを与えるというか、リラックスさせてくれるからであろう。昭和の時代が甦って来る。ちゃぶ台が懐かしい。肩を寄せ合って生きた来た時代が思い出される。

2017年6月11日 (日)

もう御免だ

  こんなことも想定外。東名高速で医師の運転する車が中央分離帯を飛び越えて観光バスの運転台に乗り上げた。こんなことは想定外だった。誰もがそう実感するような事故である。
 今日は、東北関東大震災発生から6年3ヵ月というのでテレビはその特集を組んでいる。悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。肉親、縁者、知己を失った人々の思いは今も痛切であろう。人の死に「復興」は無い。
 2011年には、イラク戦争が終結宣言され、リビヤのカダフィ政権が崩壊した。日本では在日米軍が東北で「トモダチ作戦」を展開して日本人から感謝された。2001年9月11日のtwo world trade center(New york)の空爆から10年目である。
 そして今、中東は再びまんじ巴のような騒乱のさなかにある。この地域では、ロシア、トルコが勢力圏を守るために踏ん張っている。アラブとイランを反目させているアメリカの思うようにならないだろう。バルカン半島(ユーゴスラビア)を分割統治に持ち込んだアメリカの空爆は此処では通用しないことがロシアの空爆で明らかになっている。
 嫌だ、いやだ、こんな時代は早く去ってほしい。そう思っている人が沢山いるだろう。
 

2017年6月10日 (土)

理由は聞かなくていい。

   なぜ山に登る。山があるから登る。これはしばしば聞くセリフであった。何か説明している様で何も説明していない。それでいて、これを聞いてなぜか納得する。何故、生きている。いのちがあるから生きている。という類の問答である。
 問答以前の事実がある。それを言っただけである。何故と問われても答えようがない。そう受け止めてみると世の中にはそうしたことが沢山ある。一つ一つ理由を聞かれても答えようがない。
 ある人にあることを頼んだ。出来ないからできないという。その理由などは聞かなくていい。理由はいくらでもあるから。出来ないという事実だけを承知すればいい。何故などと聞いても、できないものができるようになることはない。
 何事につけても、人は何故ということをよく聞くのだが、それを聞いてもどのような返事であってもどうしようもない。何事であれ理由を問わないでいい。理由を聞くとややこしい闇の中に連れ込まれる。それは面倒なだけである。理由を聞くと人の心の中にまで立ち入ることになる。それは面倒なことである。理由は何事であれ心の中の思いから発しているからである。

混沌期に入った世界

 このところ世界は騒がしい。イギリスが、アメリカが、どうなることかとハラハラしている。May loses majority in U.K. poll.せっかくの過半数を失ってしまった。 Comey:Trump fired me to undermine FBI probe. ロシア疑惑の摘発調査に圧力を加えたという疑惑がトランプ大統領に懸っている。Comey: Trump urged me to 'let probe go'.
 他方、中国とロシアはG7の向こうを張ったように上海機構(SCO)を拡充した。印度とパキスタンの加盟を承認し8か国になった。カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンという中国とロシアの周辺国家を中国の勢力圏に収める。すでに、AIISはアメリカ主導の国際金融IMF体制に穴をあけている。中国はカネの力でギリシャやケニアに海軍基地を建設している。
 トランプ政権はサウジを応援しイランをサウジは敵視している。カタールがその生贄になったかのようにサウジ主導で8か国から断交されている。イランへの圧力である。トランプは中東の不安定化を促している。イランからはシリアのシーア派を支援する義勇兵が出ているという。アサド政権はロシアの支援を受けている。シリアに組みするロシア、アラブに味方するアメリカ、いよいよ中東情勢は複雑になっている。
 北朝鮮問題は中国・ロシアがアメリカを牽制している。日本は独自の手を打つ術は全くない。アメリカの配下で動いているだけである。アメリカの核の傘で守られているというがそれも危うくなってきたのではないか。北朝鮮のミサイルの標的になっているのだから。
 とにかく、世界は今、右往左往で、世界地図が塗り替えられる変動期にある。イギリスやアメリカが狂って来たのだから。

2017年6月 8日 (木)

映画「海辺のリア」はくつろぎをくれた。

   chimaki tabetabe koinobori. satukiha tuyudatoiunoni  sawayakadearu.
  粽食べ食べ鯉のぼりという歌があった。笹の葉の歯ざわりがしゃきっとしてる。五月の雲は変わりやすい。晴れ間かと思うと雨が落ちて来る。降るというほどではない。傘は差さずに歩ける。かといって安心はできないので傘は持参している。
  この季節の感覚は不安定な心をそそるような風情がある。何ものかに頼りたくてしかも頼れないという思いが浮いている。青空かと思えば雨になる。雲行きが心配である。そんな日の昼間に映画「海辺のリア」を観た。観たのは確かだが、半ば居眠っていたのも確かである。海辺を歩く仲代達矢(桑畑兆吉)の姿と動きに引き付けられているうちに安らぎを覚えたのである。だからストーリーは覚えていないが、そもそも劇的な場面は全くなくて、親子の話があったほかは海の波が砂浜に打ち寄せていただけだあった。仲代の名演技に吸い込まれて眠ってしまったようである。気付くと終わりであった。それでも満足感がいっぱいであった。珍しい映画である。もう一度見てもいい。

2017年6月 7日 (水)

老後のこよみ

   清楚に暮らすことが老後の一番の大切。スポーツを楽しむのも、旅行に出かけるのも、すべて体力のいることは80歳ぐらいが限度。庭いじりですら腰が痛くなる。散歩も転ばない用心がいる。足腰がふらつく年齢である。テレビを長時間観るのも目によくない。ほどほどに読書がいい。それにもう一つは、適当に家事をこなすことである。ある程度の運動になる。気分も晴れるかもしれない。
 60歳代が最後の青春期であろう。この10年にはなんでもまだできる体力がまだ残っている。老春期というにふさわしいのではないだろうか。まだまだ元気と頑張っている人が沢山いる。70歳代は元気組とそうではないのとに分かれている。元気組は第二の現役をこなしている。そうでないのは遊びに懸命になっている。ゴルフで仲間と慰め合っているのが多い。
 80歳代がまさしく老後である。この10年が人生の最後の在り方を決めることになる。この年代になれば5年刻みがふさわしくなる。その前半に多くがなくなっている。これは私の個人的な経験であるが85歳を超えても達者な友達の数は少ない。身体のどこかに障害が出ている。老害期かもしれない。それを乗り越えることが日々の課題になる。

2017年6月 6日 (火)

老後とはいくつからそしてどのように生きるのか。

 命が余ったように生きるのは無惨である。老後を成すこともなくただ自己満足に過ごすのは一見楽しいことのようであるが、実は心のなかは干からびていることに気付かされる。人は人のために生きてこそ人である。自分のために生きるのは空を掴むようなものである。心に空虚が居座る。
 死に至るまで人のために生きることは己を忘れさせてくれる妙薬である。病は近寄ってこない。近寄ってこないから働ける。病を引き寄せるのは自分に籠ったときである。思うことばかりあってなすことはないという境遇に置かれると気狂いする。出口のない箱の中に閉じ込められたも同然である。何故自らその様な生き方に堕ちるのか自分を自分で守ろうとするからである。自分は他人によって守られるように出来ているのにそれを忘れたり拒否したリするのも年配の禍でる。
 老後というのは何歳からそういうのであるかわからないが、それは一人一人違っているであろうが、はたらくしごとがなくなった年齢であろうか。勤め人だった人は定年で退職した時が老後の始まりであろうか。現在のように寿命が長くなっていると二度定年の後が老後でおよそ75歳ぐらいからであろうか。後期高齢者医療保険の始まりぐらいが老後と一般に認識されているのではないだろうか。
 実はそれよりも前の最初の定年である65歳ぐらいから自らを老後ととらえてしかもなお元気であるから自分を楽しむ人が多い。退職金と年金で懐具合も温かい。時間もある。仕事は無い。だったら遊ぶしかないという生き方が選択される。65歳から75歳までの10年の生き方の違いによって最後の人生が変わる。

2017年6月 5日 (月)

一生は遍路満願の旅である。

 一生を生きて成長しましたか。こう尋ねれれてどうこたえられるかはその一生の生き方にようるが、誰がそのような一生を与えたか、そのことが解らないと答えようがない。そう思っても不思議ではない。人生は万事、与えれれるもので自ら作るものではない。このようなことを言えば不思議に思われるか腹立たしいといわれるであろう。
 このような人生の受け止め方は自ら生きるのだという当たり前の解釈と異なっている。自力で生きるためにどれだけ苦労してきたことかと反論されるとしても反対のしようは無い。それがこの世の生き方だからである。でもそれは人の命の本性にかなったものではない。生きるために努力しているのはかりそめの姿であって現象界の戯れである。
 この姿が人生と見えるのはそれが世に映し出されているからである。自分が動いているという幻想をリアルな人生と観ているからである。それは人生の陰に過ぎないのである。本体の人生はみえないものによってつかさどられている。これは運命と表現されることがある。自分を超えたものであることをその言葉で意味している。その先に見えるものが人生の本体である。生きることは他力本願だということをそれは指し示しているのであろう。
 自力から他力への解脱、それが人生の歩みであるとこの世を去る時に思うことになる。だから人生とはこの世でいろいろと実行して来たもろもろのことの集積ではなくて、それは脱ぎ捨てられる殻であって、生きていることの終焉に導かれる命の昇華にある。これを達成するための努力が人生の本義である。何のことはない、生きて来たことは仮の現象であって、死によって生命の満願に達することが一生の旅の意味であると納得させられるような年齢になった。

2017年6月 2日 (金)

強引な自国優先主義の背後にあるものを排除できるか

 トランプ大統領は、「パリ協定」離脱を宣言した。独伊仏は遺憾の意を表明する。中国がこの機会にEU に同調する姿勢を見せる。万事筋書き通りのようである。英米が自分たちの思うように自分たちの利益最優先の政治をどこまでやれるのか観てみたい。
 英米の政治がここまで転落するとは思いもよらなかったのではないか。英米の世界に対する発言の重みは著しく軽くなった。もう誰も信用しないところまで落ちたのではないか。世界は変わる。どう変わるかはまだわからないが英米を除いて世界が連帯できるかが試金石である。当面はEU の結束を維持しアメリカの軍事力に頼らないでやっていけるヨーロッパを築くことが仕事である。アメリカの存在価値は今や軍事力にしかないのだからそれを必要としない世界になれば今のような横柄で脅迫的な外交は通用しなくなるだろう。
 これを機会に脱軍事力の世界を構築する方向に世界の政治家が動いて欲しい。核兵器との決別がその先にあっていい。核兵器廃絶が実現するのは軍事力依存の国家観を捨てることから始まる。

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