2018年4月26日 (木)

人生二毛作の時代になった

 ちょうど一週間前の投稿で終わっている。とにかく日の経つのが早い。歳とるはずである。今は65歳が実質定年になっているが、これでもこの後の人生が長い。90歳までの30年間をどう過ごすかが大きな課題になっている。たいていの人はこれから長生きして90歳くらいまでは存命であろう。働いた年限と定年後の年数がほぼ一致するような時代になってきている。

 退職金をがっさともらえる高給取りで地位も名誉もある人たち、例えば、新聞紙上やテレビを騒がせている次官級の官僚たちや、粉飾、不正経理、製品の製作基準の無視ないし誤魔化しで有名な上場企業の重役たちや、勤務月数を基礎に退職金が支給される首長たち、中小企業のオーナー経営者などは別として、大方のサラリーマンは老後の生活資金の確保に頭を悩まさざるを得ないようなことになっていると思う。

 それでも命は長くなったから生きるためにはそれなりの苦労と不安が付きまとってくる。何よりもまず、健康の維持が欠かせない。これまでのように、定年後は残りの人生だという感覚では過ごせなくなっている。定年後に「これからの人生」がやって来る。時代はその間に急速に変わって、これまでの自分たちの時代は消滅している。古老の知恵がそれでも役立つこともあるだろうか。時代に合った生き方と時代に合わない生き方がどのような妥協点を発見するのだろうか。

2018年4月19日 (木)

権力の座からの転落が相次いでいる

 「森友」の公文書書き換え事案に絡んで佐川元理財局長が辞任、セクハラ事案で福田財務次官が辞任、買春事案で新潟県知事が辞職、驚くべきことが新聞記事になっている。東大経済、法学、医学の各学部の卒業生である。エリ-ト中のエリートと自他ともに認められていた人たちである。
 佐川のケースは、忖度政治ともいうべきもののなかでの財務省の事実隠蔽あるいは不正行為の責任を取らされたものであろう。それだけに国会マターにも当然になる。あとの二つは、権力の魔性におぼれて、エリート臭を芬々とさせた自惚れが起こした事案の責任と執ったあるいは取らされた事件である。
 これが、エリートの階段を昇りつめた俊才にたどり着くところかと思うと哀れである。どこかで何かを間違ったまま突き進んできたからであろう。権力の座におぼれるままに自分を見失っていることにも気づかなかったのであろう。こんなのは大企業にも他の官庁にもたくさんいる。この塊の行動を官僚主義という。最近の大企業の事件にもこれに似たものが散見されている。官僚化した大企業の失敗がこの国の産業の衰退を加速しているとすれば由々しい事態である。

2018年4月13日 (金)

世界の騒動と日本の転落

 ちょっとごぶさたしているともう13日である。この間にも世界はめまぐるしく動いていたようであるが、危機の暴発は避けたようである。中露と欧米が互いにすくみ合っているようである。シリアという火種をめぐうて米露が互いにけん制し合っている。お互いに自国民の了解を取り付けないとうかつには動けないマターである。特にアメリカは中間選挙に向けての国内の駆け引きが熾烈に動いているさなかであるから再選を目指すトランプ陣営にとっても硬軟両派がひそかにせめぎ合っていてもおかしくない。

 日本では忖度政治をめぐっての汚いやり取りが取りざたされていて国会が空転しているというのんきな国である。世界情勢に首を突っ込む余裕もなさそうな政府の顔が垣間見られる。その間に財務次官のセクハラ遊びが野党の追求するところとなっているのだからのんきなものである。国民はそっちのけで政治家と役人がきたない遊びにふけっている。下流国家に転落している証のようなものである。

2018年4月10日 (火)

人間の危機に直面しているこの国の人々

 今現在、この国では人間が「総崩れ」していますね。政治、行政、産業、医療、介護、教育など、多くの分野で人間が何をすべきかに迷って、粗暴な犯罪や、人間を疑わせるような事案が多発しています。ご存じのように。これはこの国の人々の上にとてつもない重圧がかかっているからでしょう。暗雲低迷し世の中が真っ暗がりになっているような状態の中で生きているからでしょう。天地の気配は怪しくて地震が各地で発生し山は噴火して人々は恐怖に襲われています。社会では世界各地で戦乱が発生し覇権国家が互いに争っています。この国の置かれているアジアでも核戦争の危機がくすぶり続けています。このような世紀に人々は生きてゆく自信を喪失したようにもがいていますね。これを転換して人々が世の建設のために挙って「総当たり」する状況を生み出さねばなりませんね。再び、晴天を取り戻すために。天の怒りを鎮めねばならないような人間社会に堕落していますから人間性の本質と仮面について今こそ自覚を持つべきでしょう。

2018年4月 8日 (日)

日本文化の多様性の中の統一

 日本政府の二枚舌は世界で有名である。核廃絶とうたいながら核の傘を手放したくない。オバマの理想「核なき世界」にすら逆らっていた。しかも国民の指導層たちはこれが正解だと信じている。原発でも、原発ゼロと言いながら原発再稼働を進めている。これも経済本位の国民の支持を得ている。本音と建て前を分けて生きているのが日本人である。常に外来文化の浸透にさらされていたこの国の指導層は古来から、自分たちの固有の文化を維持しながら外来文化を受け入れることに腐心してきたようである。外来文化のこの国における受容の歴史がそれを示している。その伝統が今も続いている。

 まことにもって情けない話であるが、これがこの国の伝統であるから致し方ない。古代から大陸や半島の文化や渡来人を受け入れて国ずくりしてきた。遣唐使はあまりにも有名である。空海・最澄の仏教はその歴史が脈々と受け継がれている。鎌倉仏教は仏教を民衆化するのに貢献して現在に至っている。明治以後は脱亜入欧で欧米化した洋風文化が浸透した。その中で、この国の人々に固有の文化も受け継がれている。それを可能にしたのが言葉の多様性ではなかったか。漢字、平かな、カタカナ、ローマ字と、多様な文字表現が外来文化への対応を容易にしている。
 文字の使い分けが文化の多様性を反映している。この文脈の中で、表と裏、建前と本音を使い分ける習慣が育ったのであろう。

2018年4月 5日 (木)

桜散る季節に身の哀れを思う

 今年の桜も昨夜の風で散り始めた。花と葉が競い合っている。庭には花弁が散らばっている。掃き捨てるのはまだ惜しい。今朝は気温が5度から10度くらい下がるとラジオから聞こえている。朝7時39分。いつものようにサンドウィチをコヒーで楽しむ。まずは健康である。

 1月からの歯の治療も昨日で終わったと医者が告げた。でも上の歯は正面の2本しかない。下の歯も左の奥数本はない。これまでの差し歯はすべで落ちてしまった。上の入れ歯も数回したががたついたりして不都合だったから使わないで捨ててしまった。あれは重くて駄目であった。インプラントなどが流行りだしたがそれには乗らなかったので無歯である。

 散り始めたり欠け始めたり、なんとなく寂しい姿であるが、自然の季節、身体の状態の移り変わりにわびしさを感じている。自然は季節が巡ればまた春が来るが身体はこの先は老化しかない。あえて春を取り戻すにはどうすればいいのかと思案している。回春は切ない希望である。不老不死は古来から人間の切ない望みであった。今もそれは変わりないのであろうが医学の進歩も追いついていない。無死の生はないままである。

2018年4月 1日 (日)

国家が国民を見殺しにしても国民が国家を救うか

 日本政府は昔から国民を窮地で見殺しにする。今朝の読売朝刊の「防衛新時代」に、「在韓邦人退避 自衛隊に壁」という見出しがあった。これを目にしたときにそのことを思い出した。
 最近では北の「拉致」で北に連れて行かれた国民を40年以上たっても救出できないでいる。その昔のことになるがシベリアに抑留された日本軍兵士は見殺しにさててきた。この時はもはや国家が消滅していた(大日本帝国の解体)ので致し方なかったという無念の了解を新政府(1952年に生まれた日本国政府)は自認していたのであろうか、救済はしなかった。日本の政府にとって国民とはいったいいかなるものか、その位置づけを再確認したい。
 ほんとのデモクラシーは民衆のために国家が奉仕することに政治の理念が置かれている。だがこの理念が今の日本国の政治理念に本音でなっているだろうか。国民は国家のために尽くすことが政治の理念として今も生きているのではないか。建前では国民主権が優先しているのであろうが、本音では国民は国家のために犠牲になることが当たり前という旧来の思想が残っているのではないか。戦後の経済立国を支えた「会社人間」は、敗戦までの「忠君愛国」にとってかわった国民共通の理念にまで昇華していたのではないか。個人を犠牲にすることで両社は共通していた。
 今でもそのような考え方と行動をとる会社は存在するし会社員自体がそれを肯定した行動をとる社会的習性が残っている。それを阻止するために働き方改革が法制化されるようであるが、実際は裁量労働制度では逆のことを産業界も政府も狙っているのではないかという疑念が巷間にある。野党がそれを代弁している。だが、国民の多くは政府の提案に賛成のようである。その根底には国の経済発展を個人の幸福に優先する風習があるからであろう。
 国家が国民を見殺しにしても国民が国家を救うか。国家という枠組みを作って、個人が生きている以上、国家を守らないと自分を守れない。それが国家と個人の妥協をめぐる駆け引きになっている。 どちらも忍従しないとおっかが分裂する。最近のスペイン国のカタルニャ州の分離独立運動がそれを示唆している。
 

 注 カタルニア語がつかわれ、中世以来独特の文化を有し、1936年7月に起こったないせん、フランコ総統の独裁、その死(75年)を経て自治制樹立の承認を得るに至った。中心都市はバルセロナ。(広辞苑)

日本人の二枚舌と外来文化の受容(本音と建て前の使い分け)

 日本政府の二枚舌は世界で有名である。核廃絶とうたいながら核の傘を手放したくない。オバマの理想「核なき世界」にすら逆らっていた。しかも国民の指導層たちはこれが正解だと信じている。原発でも、原発ゼロと言いながら原発再稼働を進めている。これも経済本位の国民の支持を得ている。本音と建て前を分けて生きているのが日本人である。常に外来文化の浸透にさらされていたこの国の指導層は古来から、自分たちの固有の文化を維持しながら外来文化を受け入れることに腐心してきたようである。外来文化のこの国における受容の歴史がそれを示している。その伝統が今も続いている。この文脈で、大変に参考になった本は、川島武宣氏の「日本人の法意識」岩波新書630、1967)であった。この本を手にしたときは本当に楽しかった。本当のことが書かれていたからである。今もその状態が続いているのだから伝統文化とは恐ろしいものである。これを失った時に国民の核心が消滅するのであろう。民族の独自性の消滅で民族が失われるのであろう。こうした民族の個性は土地柄から生まれている。外来文化を受けいてるにあたっての本音と建て前がどのように出会うのかその出会い方が日常性(日常の暮らしのあり方)を規定している。

2018年3月28日 (水)

人間の弱さと愚かさ

  北訪中。思ったほど北は強くなかったのか。後ろ盾を中に求めに行った。独立では交渉できなかった。トランプはどう受け止めているか。窮鳥懐に居ればという大きな気持ちで中が北を受け入れているか否かがこれからの展開に影響するだろう。もし中が疑念や嫌気を北に抱いていれば北の命乞い同然の訪問は効果を生まないだろう。中は北を対米関係の外交のカードに使える立場に立ったことは確かである。
 こんな時に日本の総理は個人的なことで国会で騒がれている。愚かな政治をしてきたものだと国民は情けなく思っているだろう。それだけではない。総理はオバマと寿司屋で再会を楽しんだというので、トランプが不機嫌だともいわれている。泣きづらにハチとはこのことではないか。迷惑なのは国民である。
 これからこの国はどうなるのだろうか。100%同盟だと自信を公言していた総理も相手に袖にされるようではこれまでのことはなかったに等しい。これからのことは予測がつかないのではないか。いったい何をしてくれているのか、さっぱりわからないのが今のこの国の政治ではないだろうか。日本の超エリートと自他ともに自認する役人が国家のためではなしに自分のために働いて挙句の果てには自分のみっともない姿を国会でさらしている。こんなものがエリ-トであるのならばまことに哀れである。出世競争の愚かさを露呈している。こんな人間にはなりたくないと思った後輩たちがいるのではなかろうか。

2018年3月27日 (火)

政治とAIの相性に期待する

  今朝の新聞で知った。いいよ欧米vsロシアの外交戦争が始まった。イギリスの措置にアメリカとEUとウクライナが呼応したような形である。真実は我々にはわからない。だが、なんだか、新しい東西冷戦の始まりのような感じがする。嫌なことだが歴史は巡るのかもしれない。
 日本は森友関連の事件で国会が騒々しい。佐川氏喚問が始まる。どう何を言い逃れるのか言い張るのか、何のことだか、国民には政治不信が高まるばかりのようである。
 AI で社会が変わる。世界が変わる。産業革命としてもその結果としての社会革命としても一人一人の身近に迫っている。AI教、AI経、AI 狂、世の中は各種各様なAI と対面している。
政治の世界でAI が役立ってくれるともっとすっきりした政治になるのではと期待している。Ai の特色はデータ処理が破天荒なパワーを持っていることである。人間では追いつかない処理能力を持っていると言われている。そのすごさを実際に活用して見せてくれる恰好の場面は政治だと思う。

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